普通という異常 健常発達という病
ADHD や ASD を病として捉えるのであれば、健常発達的な特性を持つ人も病として捉えられる、という問題提起 個人的まとめ
定型発達的特性の人においては、誰かの承認 (「いいね」) こそが自身の実体 これに対する手当の試みとして次のものがあるが、いずれも二次病理とも言える
1. 「いいね」 の向こう側にある本当の自分を目指す (昭和的)
2. 直截的に 「いいね」 と一体化しようとする (平成的)
内容メモ
ADHD や ASD は一定の特性を持った脳の在り方に割り当てられた名称 誰もがいくぶんかは ADHD 性や ASD 性を持つ
定型発達的特性が極端だと、それはそれでしんどくなる
本書では、自分たちが普通だと意識していることを強調するため、「健常発達」 の語を用いる 1 章
健常発達も行き過ぎれば病といっていい状態になる、という話 「普通の」 人とは、「自分がどうしたいか」 よりも 「他人からの見られ方」 を優先する人
ADHD や ASD の傾向の子は段々とこの世界から弾かれる
十分に発達したいじコミ・コミュニティでは、絶えずその小集団での 「普通」 との距離を測り続けることが要請される 生活臨床という精神科のムーブメントでの 「色、金、名誉」 という着眼点は、いじコミにも応用できそう 体 (健康) も加えられる
色と名誉は対人希求性
2 章 ニューロティピカル症候群の生き難さ
行き過ぎた健常発達が病だとしたら、どのような病かの輪郭線を描く、という話
報酬系の働きにより、健常発達の子は自身の快不快が周囲の人の善悪の価値づけなどにすぐに置き換えられてしまう 躾けやすいということ
自分が本来求めていたものが容易に曖昧になってしまう
ギャンブリング課題 : 短期的・感情的損得勘定と、長期的・理性的損得勘定のどちらが優先されるかの検査 ハイリスク・ハイリターンの方が勝てない設定になっている
ADHD の子や前頭前野-眼窩脳損傷の人は、ハイリスク・ハイリターンからなかなか離れられない
ADHD の脳科学もナッジも、忖度が行き届くことこそが正しいという前提 その先に行動における意外性やおもしろみはない
3 章 ほんとうは怖い 「いいね」 と私
「いいね」 を競い合う現象に重ねて、健常発達という病を深く見ていく
ラカンは、鏡像段階という理論で 「自分・像はもともと人から盗んだもの」 という話をする 健常発達の人の自己イメージには、人から盗んだものという感覚がつきまとっている 「ない」 というのは、人間に特有の後天的に習得された特異な認知の型
この世界に場所を占めるために、誰かと一緒に名指す練習が必要
悪いおっぱいは他の人が名指せないので、この世界に入ってこれない 「私」 には顔かたちがあるので名指せるが、名指される自分とほんとうの自分にはずれがあると感じるもの
自分というものは、自分から見えるのと相手から見えるのではずいぶん景色が違う
世界の中からはみ出してしまったり、溶け出してしまう不安定さ
意識の英語 consciousness は、ラテン語の con-scio に由来 共に知ること、複数の人が知っていること
意識という言葉が、現在のような自分にしかない感覚のようなものになるのはデカルトの時代以降 虐待やネグレクトを体験した人たちの一部は、生き延びるために他人の顔色を伺って従順に振る舞うことを学ぶ それでも、大人になってから承認を得てベーシック・トラストを再構築することはできる
母親からの承認を失うことは娘にとって決定的なことになりうる
「私」 という存在が、れっきとしたこの世界にあるもののようになるためには、十分な量の承認が必要
大人になってからも、一定量の承認を得られなければ、私たちは世界から溶け出してしまうこころの仕組みを理解している
健常発達の人はこの仕組みを徹底して身体化している → 承認の不足に敏感に反応する
4 章 昭和的 「私」 から 「いいね」 の 「私」 へ
健常発達の人は、世間のメジアン (中央値) とずれないことを絶えず意識して、自分の在り方を修正し続ける必要がある
虚構と実在の逆転
誰かの承認によって名指されることが、この世界でれっきとした存在になるための条件であることは時代を超えて一貫している
昭和においては、誰かは普遍的なものであるかのような装いで、見えにくかった
平成、令和と時代が進むことで、自前で承認を調達することを余儀なくされるようになった
5 章 定住民的健常発達者とノマド的 ADHD
世間一般が良しとする中央値が見えなくなっている
健常発達者の定住民性が見えにくくなっている
生きる喜びとは、失われた母の乳房をもう一度取り戻すことにある
「 色、金、名誉」 は母の乳房の不完全な代替品
向こう側には本物がある
いつかそれを手に入れることこそ生きる意味
精神分析において立派な大人になるとはちゃんと去勢を行えたかどうか
母との決別、母への断念をどれだけきちんと行えたか
現代は社会の大きな物語が 10 年刻みぐらいで大きく変化するので、去勢を貫徹した大人は大きな物語の変遷に置いていかれる 門を超えた向こう側には、変わらぬありのままの自分がいるはず
我々はそこに到達する必要があり、それこそが生きる意味
実際にはそこに行くことは構造的に禁じられているが、禁じられていることは隠されている
他者からまなざされることで、自分の隙間がなくなって人間の条件を失いかけるが、自分が他者をまなざすことで人間の条件を取り戻す
このような他自存在の構図は昭和的なあり方に規定された存在の一特殊型かも?
相手からのまなさしによって受肉する
女性アスリートが性的にまなざされる例
ADHD 的なあり方において、サルトルの言う無は狭いのでは? 人間が成立する条件の 2 つの考え方
1. 人間であることの条件は、表情を表情として保つ何かではないか、という考え
肉的存在 = 他者がまったく介在しない、むき出しの生きること
肉的存在は、人間においては表情が病理によって剝がれ落ちないかぎり、表には出てこない内奥に隠されている デカルト的コギタチオを中心に生活を設計しなおすことが 「いいね」 世界からの出口になりうる
ADHD 的な人の方がその性向があるが、健常発達の人も ADHD 的なポテンシャルを引き出せば自分を救う処方箋になりうる